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北垣日出子学長のインタビュー記事が、朝日新聞(夕刊)に掲載されました。

12月3日(土)の朝日新聞(夕刊)のコラム(「(東京五輪物語)わたしの一枚」)に、北垣日出子学長のインタビュー記事が掲載されました。1964年の東京五輪で学生として通訳を務めた学長の、五輪当時の「思い」や体験が語られています。

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【全文記事(12月3日付の朝日新聞夕刊の記事を掲載しました)】
ブルガリアチームの通訳 文化の差感じた「沈黙]
 ブルガリア男子バレーボールチームの学生通訳を務めていた北垣日出子さん(73)は選手たちの思わぬ反応に戸惑った。
 10月10日に五輪が開幕した数日後、ソビエト連邦のフルシチョフ首相が突然退陣した。ブルガリアは当時、共産主義国できわめてソ連に近い関係だった。重大ニュースを伝えると選手たちは自室にこもった。政治について語ることはタブーだった。
 「日本との文化の違いを肌で感じることができました」
 神戸で生まれた北垣さんは英語を通じて世界との懸け橋になりたくて津田塾大に入学した。2年生だった1963年、五輪の学生通訳の募集があった。津田塾大はバレーボール担当と決まっていた。首尾よく10人の合格者のうちの1人となった。
 学生通訳は五輪までの約1年間、合宿を重ね、訓練を受けた。組織委員会の資料によると、東京近郊の18の大学から298人が集まった。
 男子バレーボールでブルガリアは突然不参加になったチームに代わり、出場が決まった。羽田空港に迎えに行った初日から、タラップの下から見送った最終日まで連日、学生寮から試合会場や練習場に通った。ブルガリアの最終戦の後、同じ会場であった女子の日本―ソ連戦を見て、日本中が沸いた「東洋の魔女」の金メダル獲得の瞬間に立ち会えた。
 北垣さんは現在、千葉県柏市にキャンパスのある開智国際大の学長だ。4年後の東京五輪に期待することは多い。「世界中からお客さんを迎え、若者にとって何よりの刺激になる。学生通訳の体験を若い人に伝えていくのが私の役目です」(有吉正徳)

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